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想像を超えた現実に




 急に吹き始めた風に中庭の木々が揺れ、外が騒がしくなる。紛れて響く、小さな時計の音。
 念願かなってやっと会えた人を前に、自分がさらしている姿はどんなものだろう。思いを寄せる人のあのような姿を見て冷静でいられるはずもなく、かといって自己の責任においてその行動をしたと言うであろう彼女に掴みかかって叱咤することも出来ない。冗談を交えて清々しく笑う、そんな雰囲気とは程遠い。そんな中で、眉間に皺が寄るのも自然なことだ。
 おそらくそれは彼女にも言えること。寸での所を助けられたことを安堵しているのか否か、その様子からはっきり読み取れこそしないが、悔しさばかりを感じているわけでもなさそうである。本当のところはどうなのか、答えは彼女の口からは決して聞けないだろう。尋ねたところで頼みもしなかったことをと、迷惑そうに言い放つのが彼女である。対面している彼女の表情は酷く険しい。

「本題に入る前に伺いたい」
「なにかしら」
「一体、どこまでお知りになったのですか」

 ミューリは少し首をかしげ、そうねと話し始める。

「確かなことは私の本当の父親が国家錬金術師であったことだけ」
「確かなことと言うからには、何か不確かなものでも?」
「私の憶測もあるということよ。あの男が言っていたわ、『こんな所で貴女に会えるなんて』と。軍人同士が馴れ合うことなんて殆どないはずよ、まして上司の娘と実際に会う機会なんてそうあるものじゃないでしょう? すると一体どこで私と会うことが出来たか……」

 彼女は挑発的に笑う。後は言わずとも分かるでしょう、と。
 ぴりぴりとした緊張が部屋を満たす。彼女が言わんとしていることはすぐにわかった。暫くの間を置くのは、自分の判断が正しいのだという確証を得る保険である。

「君は確かに軍にいたよ」
「当たりね」

 涼しげに口元が緩むが、その目は冷えきっていた。この人は当たり前のように独歩して、まるで別世界に居る。それは頼もしいけれど、とても寂しい事実だ。

「東部で起きた内乱の事は知っているかい」
「あまり詳しくは知らないわ。確かイシュバール人がどうのってものよね」
「そう。その当時、君は士官学校に入っていたらしい。父上は君の言ったとおり、国家錬金術師の資格を有していたから軍での地位や権力はある。これは資料を当たったからほぼ間違いないだろう。
 内乱が激しくなるにつれて、当然戦力は乏しくなる。すると自然に優秀な士官学校生も戦場に送り出されていくことになったんだが……」
「私もその中の一人だった、ということね?」

 彼女を見つめ、ゆっくりと頷く。

「ただ、君の場合は戦闘向きではなかったらしい。戦場には赴くが、専ら軍の高官たちと共に作戦会議に参加していたようだ。おそらく、それには君の父上のご尽力があっただろうがね」

 ロイはそこで口をつぐんだ。
 これ以上のこと――ミューリが自身の父親の死に加担しているのだと言う事実は、今話すべきだとは思えなかった。強がってはいても、彼女は今日の出来事で少なからず精神的に参っている。これ以上動揺を誘えば今目の前にいる人はどうなるかわからない。ミューリが不安定だというわけではないが、過去の件に関してはいささか強引な部分がある。
 彼女の感情のグラスは既に一滴の水滴すら許さないほどに満たされているのだと、そう思ってしまう。

「では」嫌な空気の上、静かにミューリが口を開く。
「父はもう逝ってしまったのね?」
「ええ、内乱の中で殉職されたと伺っています」
「……そう」

 俯いたミューリが、長い息を吐く。ロイは真実を話せていない事の罪悪感が手伝って、その姿を直視することができなかった。とにかく、この決断が今は正しいのだと自分に言い聞かせて窓の外に視線を泳がせる。
 息をすることすら憚られる沈黙が続いた。
 とっくにパーティーなど終わっている。アーキンもそろそろ撤退する頃かもしれないし、思いつく限りの心配事もリリーがうまく処理してくれるだろう。唯一の心配といえば、この場をどうまとめるかと言うこと位だ。

「ロイさん」

 心地よいアルトにはっとして、背けた顔を正面へと返す。この場にそぐわない清々しい風が内に吹き込んだ事を確かに感じた。しかし彼女は何が起こったのか分からない様子であったし、それが知れたところで彼女がはにかむような事も無いのだろうと、浮かんだ思いはそっとしまい込んだ。それでも彼女に呼ばれた自分の名は、随分と気持ちを楽にさせた。但し、後に尾を引く申し訳ない思いだけはくっきりと残してであるが。

「でもわからないわ、何故それが私の記憶喪失に繋がるのかしらね?」
「……その辺りの詳細は今回調べた限りではわからなかった。ただ、終戦時に貴女は軍を去っていたのです。その時期は貴女の記憶の始まりである8年前と一致する」

 だから全く無関係とは思えない、今後もう少し調べてみよう。その塗り固められた言葉にミューリがひとつ相槌を打って、何処か納得した風な表情を浮かべた。

「わかったわ。どうもありがとう」
「お気は済みましたか」
「ええ。それに、今のところ貴方から聞けることはこれ以上無いのでしょう?」

 心臓が跳ね上がる。一瞬、ミューリは何か重要な事を隠しされていると勘付いたのかと思ったからだ。確かに彼女の言い方はそういう風に取れなくもない。だがそれは、おそらく自分の考えすぎだ。ここで狼狽を見せてはいけない。

「ええ。但し、ひとつ忠告を」
「何かしら」
「今後、先の男に会って他になにかを聞き出そうとしても無駄であると言う事を伝えておきます」
「ふふ、それは彼にとって上官命令になるのかしら」
「そうではありません。あの男には、元々貴女に語って聞かせるような情報は持たないのですよ」
「何故、そこまで言い切れて?」
「彼は確かに、軍にいた貴女を見たことはあったのでしょう。しかし言った通り貴女は戦闘の中にいたわけではない」
「情報収集に躍起になった貴方がやっと知ったこと以上のものを、親しく付き合ってもいない人が私に教えられることはないものね」

 ミューリは苦笑した。

「ご忠告までしてもらって、本当に至れり尽くせりね……大丈夫よ。それくらい分かっているわ」

 狡猾にさえ見えた表情。ふと過ぎる疑念――彼女も何か言えない事を秘めているのだろうか。しかしそれを聞き出すには、もう時間が残されていない事をロイは知っている。

「今日は本当にありがとう」

 ミューリはゆっくりと立ち上がって、わずかに腰を折る。ロイもそれにつられて立ち上がると、ドアへと彼女を導こうと手を差し出す。ミューリはそれを断りはしなかった。ただ「どこまでも優しい方なのね」と小さく呟いて、そっと手を重ねた。

「え?」
「私達、婚儀の約束をしたわけではないわよね。一度断りもしたわ。それでも貴方はしつこいほど私に付きまとう……」
「迷惑でしたか?」
「もちろん、それなりに」
「これは手厳しい」

 分かっていたことでしょう、と最後には華やいだ笑い声を添えて返されて、歩み寄ったドアを開く。
 この時、そのグラスが空であった事をロイが知るのは、その後しばらく経ってからのことである。この時はただひたすら、彼女の身に何も起こらなかった事を安堵していた。












***








「ご自宅に戻られますか」

 ハンドルを握った中尉とバックミラー越しに視線を合わせ、そっけなく「ああ」と返す。深夜というには少し早いこの時間。司令部の仮眠室に入るのならば自宅での睡眠のほうが幾分ましだろう。それに今はじっと一人でいたい気分であった。

「お疲れのようですね」
「……やはり私にはああいう場は相応しくないらしい。気疲れするばかりだ」
「慣れていらっしゃらないだけでしょう。それに今日は色々ありましたから尚更です」

 苦笑をこぼした。言わずとも、中尉に迷惑をかけたことは重々承知である。
 招待された身でありながら、早々に姿をくらますなんて身勝手なことをした。しかも理由が理由であるから、言い訳も出来ないしする気もない。

「すまないな」
「いえ、もう慣れましたから。しかしひとつだけ言わせてください」
「なんだ?」
「ご自身の立場をもう少しお考えください。結果、ヴェライス家のお嬢様を助けることになってよかったものの、本日の行動は大佐らしくありませんでした」
「私らしくない、ね」

 それは自分でも気がついている。たった一人の女のために奔走し、危険に身をさらすことなど本来避けるべき事のはずであったと。

「私情をお持ちになるのは結構ですが、決してそれに飲まれるようなことはなさらないほうが良いのではと」

 色恋の話よりもはるかに大切なものがあるのではないのかと思っているのだろう。おそらく彼女はミューリとの関係が仕事に支障有りと判断すれば、何かしらの行動に出る。それは以前から薄々感じていた。彼女にはそうするだけの権利も義務もあるのだ。

「善処するよ」

 万が一、今日のようなことが再びあったとして、果たして無視する事ができるか――答えは決まっている。確約することは出来るわけがない。
 今後は益々、情報提供といった形でミューリに近づくことになるだろう。そうなれば比例して今回のようなことに巻き込まれる可能性も高くなる。過去の一端を知った彼女が、これからどう道を選ぶのか。彼女への興味は、女性から一人の人間へのものへと徐々に、そして確実に形を変えている。愛なのかと好奇心なのか、その境界は曖昧であった。



中尉に別れを告げ、重い自宅のドアをくぐる。暗い広がりを見せる部屋に今日の疲れも相まって、うんざりと息を吐いたときである。突然電話のベルが鳴り響いた。こんな夜更け、この家に電話をかけてくる人物など限られている。

「私だ」
「お、出たな!」

 電話の相手はいつものハイテンション。その声を聞くこっちまで疲れてきそうだと思いながらも、それなりのことなのだろうと休息モードに入っている頭を無理やり起こしてみる。だが、どうも声色だけは急に変わらなかったらしい。

「何の用だ……ヒューズ」
「夜遅くに悪いな。こっちも仕事でバタバタしててよ」
「前置きはいい。私も疲れている」
「へいへい」

 珍しく、ヤツの家族自慢は影を潜めていた。仕事が忙しいというのもあながち嘘ではないらしい。

「前、お前に報告したミューリ・ウィリアムスについてなんだがな。喜べ、追加報告だ」
「ほう……仕事が忙しいと言っていたんじゃなかったのか」

 随分と余裕があるんだなと嫌味っぽく言ってやると、それなら報告しないといわれて思わず苦笑した。

「冗談だ。一体どういう風の吹き回しだ、俺はあれっきりだと思っていたぞ」
「殊勝なことだろ?」
「で、本当のところはどうなんだ」

 ヒューズは電話の向こうで舌打ちをして、かなわねえなあとごちた。

「今回のヤツは偶然だ。いろんな書類の整理をしてるんだが、そこで彼女の父親に関するものが少し出てきた」
「父親?」
「ああ、国家錬金術師の大佐……っと、いまじゃ殉職して少将だな」
「それではミューリ・ウィリアムに直接関係はしないのだろう?」
「まあ早い話しそうだが、今後の何かの役にはたつだろ。お前だって仮にも錬金術師なわけだしな」
「……研究内容か」
「察しがいいな、さすがウチの大佐だ」

 そんな冗談を聞きつつ、ソファに場所を移して体をうずめた。わずかに木のきしむ音がする。

「しかしあの場で指揮を執っていたということは、戦闘向きの研究だったろう?」
「それがな、意外なことにそいつの得意分野は医療方面らしい」
「医療? しかしお前の話じゃ前線で戦っていたと」
「そうなんだが……。もしかすると前線で怪我人を助けてたってことも考えられるしな」
「医療錬金術、か」

 ふっと頭を過ぎる金髪の少年と鎧の弟。まだ詳細を知らないとはいえ、全く関係が無いともいえないだろう。
治療のために生体錬成の研究をしていた可能性も高い。

「しかし彼の研究記録は残っているのか?」
「わからん」

 即答した親友に向けて、大きな溜め息。

「……切るぞ」
「待て待て! 記録があるのかはわからんが、残ってるのがある。デンティーニ少将の家だ」
「家?」
「ああ、しかも研究専用のな」
「面白そうな情報ではあるが……」
「だろ? しかも軍が手をつけてないってんだぜ?」

 思わずロイの口元に笑み。

「詳しく、聞いたほうが良さそうだな」










***











 窓辺に佇み、冷たい月光に照らされた街並みを見つめていた。

 話が終わり、ロイと共に退出するとすぐにリリーが大丈夫でしたかとミューリに駆け寄る。別れの言葉も少なに、ミューリの肩を抱いて部屋に戻るよう促したのも彼女である。
 ミューリは自ら頼み、ひとり部屋に居た。宴の後の静けさはとても深い。
 恍惚とした表情で窓の外を見てはいるが、心のうちにドロドロと思いが渦巻いている。穏やかな心情とはとても言えず、まして夜も更けたと眠ることも出来そうになかった。
 その静寂を破るノック音。一人にしてくれと頼んだのだから、リリーではない。こんな真夜中、ドアの向こうに立つのはあの人しかいない。
 溜め息と共に返事をし、ゆっくりと視線をドアへと向けた。

「まだ起きていたのかい」
「ええ。久しぶりの賑やかな場所に出たからか、なんだか熱が冷めなくて」
「ほう……」

 ヴェライス卿。古くから続くこの家の現当主。そして、子のない家のために記憶を失った娘を引き取り、事実を隠して育ててきた人……ミューリにとって今最も会いたくない人物であった。
 もちろん熱が冷めぬなど本当のことではない。考えることが多すぎて茫然としているというのは、パーティーの夜には似合わない言葉である。

「そんなに楽しかったかね? それにしては会場から出たのも早かったようだが」
「すみません、やはり慣れないこともあって……外の風にでもと思ったのです」
「……そうか」

 一体、何の用があってここにやって来たのだろう。ミューリの部屋に足を踏み入れることなど、この人にとっては珍しいこと。怪訝に思いつつも追い出す理由を見つられず、成り行きに任せようと思い始めたとき、ミューリの目の前の男は声の調子を低くした。

「マスタング君とは、どうなっている」
「……特になんとも」
「今までの見合い相手に比べて随分と仲良くしているようだが、このまま話を進めてもいいのかと思ってね」
「急に話を進めようとするのですね、今までは何も言われなかったのに」
「いや、実を言うと今日も話を頂いたのだよ。今回のパーティーの名目でもあった研究所のトップを任せた方にね」

 ただ、マスタング君のことでまだはっきりとした事を聞いていなかったから、と甘い事を言う。遠まわしに返事を求められるものの、ミューリに口は開けなかった。ロイとの行方を考えようとすると、何処かで何かが引っかかってしまう。それは随分と前から感じていた何か……。そのはっきりしない感情は、なんとなくこの家に対する不信にも似ていた。
 しかしミューリは思う。何の理由もなしに、これ以上この返事を先延ばしにするのはできないと。氏がもらってきたという誘いは、婚約あるいはそれに近い話が公式に発表されない限りは今後も多々出てくるのだろう。早いうちにロイとの曖昧な関係というのもはっきりさせて欲しいと願うこの人の思惑もわからないわけではない。
 しかし今ミューリの中にあるものは、そんな事ではないのだ。もっと根本的な、この家にも関する重大事。そろそろ全てに決着をつけるべきなのかもしれないとミューリは暫く思案し、ゆっくりと口を開いた。

「不思議で、仕方ありません」

 顔を背け、ゆっくりとベッドに腰かける。怪訝な目でその姿を目で追うヴェライス卿。

「何が不思議なんだ?」
「お見合いの話ですよ」

 都合が良かったけれど、どうしてこうなってしまっているのか。不可解ともいえる。

「私は女であって、まさかこの家を継げはしないでしょう。とすれば、婿をとるのも自然な流れであることは知っています」
「……それで?」
「どうして、私の意志をそこまで尊重しようとするのでしょう。そこまで婚約や結婚を急くのならば、私の承諾など無くても良いのではないのですか」

 ましてこの家の生まれでもないのになぜ。

「そう、か……」

 小さく呟き、手近にあった椅子に座ると大げさに息をつく。威厳に満ちていた姿が、少し小さくなったように見えた。

「お前には言っていなかったがね……実は初めから、君にこの家に留まってもらおうなどとは思っていないんだよ、ミューリ」

 静かで柔らかな宣告だった。余りにも突然の予想していなかったそれに継ぐ言葉がない。
「ではどういう理由で私をこの家に引き入れたの?」――たった一言、それが声にはならない。


「家の名を守ることは大切だとは思う。しかしそうして世襲していっても、どこかで必ず衰退する。そうなれば、この家に関わる者全てが路頭に迷うだろう。それだけは避けなくてはならん。私の次は、実力のあるものに譲ろうと思っている。
 まあ現当主としては、色々な企業との強い繋がりは欲しいところだがね。お前の思いも出来る限り大切にしてやりたいと思うのも、親心というものだ」

 現に、今まで紹介してきたのは大企業の者もいるがほとんどが企業の運営などとは無関係の郡の方が多かっただろうと言う。

 それは、本当? ――騙されちゃいけない。そんな事が本当にあるのか。ミューリは必死に今の状況を見つめ直し、冷静になれと言い続ける。
 この男が言うことを簡単に信じることは出来ない。結婚の時期も相手も、最良と見ればすぐに決めなくては、見合いなどする意味はあるのか。そもそも幾度となく断り続ける見合いに、いい評判など立つだろうか。この家だけではない、相手の名にも傷をつけるだろう。
 なぜそこまでのリスクを承知で、私ひとりの心を大切にするというのか。過去を隠し、私を育ててきながら?

 そこまでの愛を、この人にもらった記憶はないとミューリは強く思う。

「あなたの親心とは、そんなにも深いものなのですか」
「そう思っているが」
「ならば一層、私には不思議です」

 偽りの言葉で、どこまで私を操ろうとするの? この家に閉じ込められた理由は今日はっきりした。
 激しい思いをぶつけるように、ミューリはその目を男に向ける。

「なぜそこまで愛せるのですか……この家の生まれでもないこの私を」

 驚くことも、焦燥の色を見せるわけでもない。変わらぬ表情のまま、この家の主人もまたミューリに真っ直ぐと向き合っていた。

「……思い出したのかい」
「いいえ、知ったのです」
「……君に話したのはマスタング君かね」
「いいえ。彼から頂いたのは確信だけです」
「庇うことはないだろう。私が彼に何かするとでも思うのかい」
「そんなつもりは毛頭ありません、全て事実ですもの」

 当主が浮かべているのは優しい微笑み。緊迫したこの場とは全く釣り合わない。その口がゆっくりと動いたかと思えば、茶を用意させようと言う。

「こんな時間に?」
「君がそこまで知ったなら、知らねばならないことがあるのだよ。そのために無茶をされては、たまったものではない」

 聞けば教えていた、と言うのだろうか。
 ミューリは量りかねていた。一体どこまでが本当なのだろうかと。
 それを察した氏は、変わらぬ笑みで続けた。

「全てを知らなければ信じてくれないことも解っているよ。血は争えない、というだろう」

 そうして部屋の外に居る者に紅茶を頼むと席を立った。無防備な後姿だ、と邪な考えを持った自分にミューリは人知れず溜め息を漏らす。

 この家の鳥になったときから、私の心に欠けたものが確かにあった。
 籠の鍵は容易に外れたけれど外の世界が甘さに満ちているはずもない。その中で見つからなかったそれが今日、見つかるかもしれない。

 この夜は月と寄り添う鳥となろう。自分を救う手立ては、おそらくこれしかないのだから。