愛猫恋愛物語 熱い気がする。それに、体がだるい。 赤く染まった空が次第に闇の中へと飲み込まれる時刻。 仕事から帰り、一つに結んでいた髪をおろすと共に一気に疲れが身に降りかかる。肩にふわりとかかった黒髪を鬱陶しく思いながら跳ね除けると、そのままソファに倒れ込んで丸くなった。 季節の変わり目に、風邪はつきものだ。それでも自分にはやるべき仕事があって、少しの甘えだって許されていない。そんなこと、わかってる。それでも、ふと襲ってくる焦燥感は一人で部屋にいる私を不安に追い詰めるには十分な力をもっている。 カーテンを閉めた薄暗い室内、そっと目の前に手をかざすと、そこには弱々しい陰があるだけだった。思わずため息をつく。だらりと腕を垂らしてぼんやりとして見つめた雑然とした室内に、私が思い描いていた生活の色は浮かんではいなかった。こんなはずではなかったのにと思っても、それももう今更どうしようも出来ないことだ。また、外を一台の車が走っていく。無機質なマフラーの音が部屋の静かさに拍車をかけた。 そうやって一種自虐的で、ささやかな感傷に浸る私の耳にふと足音が聞こえた。また、やって来たのだ。『アイツ』が。 しばらくするとドアを叩く音――間違いない。 私は起き上がることすら面倒に感じて、小さな声で「開いてるよ」と囁いた。それが壁一枚向こうにいる彼の耳に届いたはずは無い。その証拠に、また何度かノッカーの音がした。 「……?」 鍵の掛かっていないドアが訪問者を拒絶するなんて出来るわけがなくて、いとも簡単に開かれた茜色の世界の光に瞑った目をきつく結んだ。 「……またこんな所で寝てる」 その声に目を開くと、目の前にかがみ込んだ彼の黒い瞳が不思議に輝いていた。 「女の部屋に勝手に入ってくるなんて、非常識じゃない? ロイ」 「いいから鍵を開けといたんだろう?」 彼は大きな手で私の頬を撫でながら、かすかに笑った。とても、温かい。 「憎まれ口叩く暇があったら、どうにかしたらどうだ?」 彼はそういいながら、床に散らばった本や紙切れや脱ぎ散らかした服を拾っては手際よく片付けていく。もちろんここは私が一人で暮らしている部屋だ。私はやっぱり起き上がる気はなくて、縮まった猫がそうするように、彼の姿を目で追うのみ。 この部屋がこんな状態になっているのはいつものことだ。何も昨日今日に始まったことではないのだからこの人も分かっているはずなのである。どうにかしろとは……。 「……何を?」 自分でも思わず口を突いて出た言葉は、何とも力なかった。 何とも言い辛そうに一瞬間を置いてから、ぽつりとぼやいた。 「その格好」 「……だって、楽なんだよ」 「私は仮にも男だが?」 「部屋に勝手に入ってこれるような間柄なのに?」 「それでも、だ」 いいながら、近づいてきたかと思うと、その手に持っていた黒いストールを持ってくる。 私はぼんやりする頭を無理やり起こされる感覚に顔をしかめた。 「風邪を引くぞ」 「だから、楽なんだってば」 「聞き分けの無い人だな」 ロイが無理やりストールを私の肩にまきつけると、彼はソファに座る私を見下ろす。 彼の言うことももっともなことなのである。自分が着ているのは肩がでるふわふわのベビードール。膝まで十分に丈が有るとはいえ、ソファで横になっていればそれもあまり意味は無いだろう。 「……なにかあった?」 優しい声だった。 「別に」 「猫みたいに丸まってソファにいるし」 「……私の好きよ」 「そんなにだるそうに話すのに?」 「なんでもないの。ただ、ほんの少し動きたくないだけで……」 するとロイがしゃがみこんで、うつむいた私の顔を覗き込む。私は目を合わせまいと、ふっと顔を背けた。 「顔が赤いぞ?」 「夕焼け、だから」 「それももう沈んでしまったよ、君がぼんやりしているうちにね」 「…………」 突然、顎を掴まれて否が応でもロイに赤いと言われた顔を向けることになる。予想以上に顔が近い。 私は何も考えず、ただ本能だけで視界を閉じた。 そしてすぐ、目の前にいる男が得意げに笑んだ事を微かな震えで感じたのである。 この人は本当に不思議な人だ。この私が甘えたくなるなんてどうかしている。 徐々に近づく温かさに、ときめかないわけが無い。じっと待って、待って、待って……。 しかし、思っていたのと現実は違った。 人のぬくもりが触れたのは私の額。それも、温もりとはいえ少し冷たい大きな手。 私は恨めしそうにロイを見上げると、ロイは合点が言ったような表情。 「やっぱり」 「熱があるって?」 「分かってるんだったら、ちゃんとベットで寝ていれば……」 「だって、ロイが来るでしょう?」 私の言葉を聞いたロイは半ばきょとんとして、私は自分の言った事が照れくさくて、そそくさとベットルームに移動した。 疲れてだるくて何もしたくなかったというのが、あの場にいた理由の全てなわけじゃない。どんな状況にあっても、出迎えるのがベットの上では情けなくなると思ったから。貴方の疲れを増す理由を与えたくはなかったから。しかし、そんな偉そうなこと、言える立場で無いことも分かる。結局部屋を片付けてくれるのも彼に違いは無いのだ。 「ついているのか、ついていないのか、わからんな」 しっとりと肌に馴染んだブランケットに包まってしばらく、ベットルームの戸口の寄りかかる“恋人”の言葉が聞こえた。 「どういう意味?」 「君から素直な言葉が聞ける日に限って、思うようには行かない」 「今、襲っちゃいたいってこと?」 ロイはほらね、と肩をすくめた。 「そうしたいのは山々だがね、私は明日も職務に忙しい。風邪を君の変わりにひくことはできんのでね」 それもそうねと相槌を打つ。それも貴方だ、仕事があるのは私も同じ。けれど重みに違いはある。 私はこういうときにしか素直になれないの、嫌になるほど弱い私。 ゆっくりとフローリングを歩く人。ベットサイドに立って、私の長い髪をその指に絡めとった。 「いつも生意気な人が豹変するのも調子が狂うな」 「いつもこんなだったら良い?」 「まあ、時々ね」 噛み合わない会話すら愛しく思えてしまうのは、この人のことが大切だから? 「それで、風邪を引いたお姫様は何をご所望ですか」 冗談も程ほどに、ロイは私の看病をするつもりらしい。 「温かいものが食べたい、かな」 「あとは?」 私はしばらく考えて、もちろん断られると思って口にしてみる。 「赤いバラが一本見たい」 「バラ?」 するとロイはちらりと時計を確認して、今行っても、と。 「パン屋さんの角の花屋さん、あそこならきっと売ってくれる。あそこの娘さん、貴方にお熱だから」 「いいのかい? そんな人のところに買いに行かせて」 「その人が意気揚々と渡したバラが、私への贈り物でしょう?」 「……なかなか君も意地が悪い」 私が我侭を言うのは貴方の前だけ。もしかすると、人恋しいこの寂しい生活の中で続くこの儚い恋愛物語がいつまで続くのか、試したいだけかもしれない。 ひらひらと手を振って、寒空の中へ出て行くその人を見送った。 でも我侭を言うのには、もう一つ大きな理由がある。 私は温かくなったブランケットの中で、ぬくぬくと丸まりながら幸せをかみ締める。 「大好きなんだよ……ロイ」 1234を踏まれたnanashiさまへ。リクの内容は 『ロイを手の上で転がすヒロイン』という事だったのですが……微妙ですね。 しかも名前変換が少なくて本当に夢……? 長々待たせた挙句、こんなものしか出来ませんでしたが受け取っていただきたく思いマス。 キリリクありがとうございました! 柚子 Phot:Four seasons |