秘密の本音





「ああ、すまない。今日は仕事で……いや、ここの所ずっと忙しいものでね。いつ会えるかと私も楽しみにしているよ……」
 他聞をはばかる事も無く、延々10分以上の長電話。よく軍の回線でここまで堂々と話ができるものだ。スキャンダラスなその上司に一種尊敬の念を感じながら、は自分に託された仕事に向かっていた。いつものことだ、自分の知らない女と話していることくらい。波立つ心をそう言って紛らわし、自身を納得させながら。

 午前中からずっとこんな感じである。その原因は、いつもロイを見張っている中尉が非番ということ。ロイの機嫌がすこぶる良いのは、誰の目からも明らかであった。
 にとってこんなに面白くないことは無かった。知らない人と仲良く話す上司を見ていることは我慢がならなかったのである。積極的になれない自分のせいであるのかもしれない。思っても思っても、それは空廻ってばかりで、結果として自分の下に残るのは後悔と恥の二言。

「大佐、これにサインを」

 処理した書類を持って行っても、まともに取り合ってくれる雰囲気ではなかった。職場に似つかない電話をしている人の前に、なるべく邪魔にならないよう気を遣って、そっと紙を差し出す。
 本来広々としているはず左官用のデスクは、いつになくごちゃごちゃと書類や資料が散乱していた。それが、職務時間内に果たして終わるのかと不思議になるほどである。しかし『忙しい』の一言で女性とのデートを断ったくらいだ。もとから終わらせる気など無いのかもしれない。その証拠に、がサインを求めた書類には、あっさりと判が押されたものの、長く繋がったままの回線が切られるようなことにはならなかった。

 サインをもらったばかりの書類をデスクに持ち帰る。もう少しで今日の分のノルマが終わりそうだと、自分に気合を入れようにも、聞こえてしまうあの口からこぼれる甘ったるい言葉の数々。ロイに憧れを持っているにとっても、この時ばかりはそれが憎たらしく思えてくる。
 明日になれば中尉に嫌と言うほど怒られる……それを分かってこの人は仕事に手をつけないのだろうか。もしかして、こうして同じ部屋で仕事している以上、この人の面倒を見なきゃいけない責務も負っているのだろうか。答えの見えない問いに悶々と頭を抱え、デスクにうなだれていた。野暮用で外出しているハボックに早く帰ってきて欲しいとさえ思い、残りの仕事を片付けるだけのやる気が出るはずも無い。

少尉、何かあったのかね」
「はぁ、あまりにも大佐が仕事をしてくれないので……って!! た、大佐!? いつの間に! もう電話のほうはよろしいのでありますか!?」
「落ち着きたまえ、電話はもう終わっている」

 いつの間にか受話器を置いたロイが、のデスクに手を突いて立っていたのである。靴音を作る事も無く、その口元にはシニカルな笑みが微かに浮かんでいた。
 しばらくの間何度も瞬いて息を落ち着ける。間近に感じる人の息に顔が熱くなっていった。何ともばつが悪い。突然のこととはいえ、口をついて出た言葉は、いま得意げに顔を覗き込む男へのクレームだ。それを本人の前で言ってしまったのだから、気が付いた時には処罰を受けることも覚悟して頭の中は真っ白である。

「……すいませんでした」

 とにかく謝るしかないと、恥ずかしさに俯きながら反射的に謝罪の口上を述べたに対し、ロイはあくまで冷静のようだ。

少尉、それが君の本音かい?」
「あの……すいません」
「私はイエス・ノーで答える質問をしたつもりだが?」
「えっと……その……」
「もう一度聞く。さっきの事が君の本音なのかね?」

 その冷淡な物言いに息が詰まりそうだった。言いたい事があるなら、早く言って欲しくも思うが、それが良くないことだとしたら先伸びになって欲しいような気もする。正直に言うべきなのか、これからの事を考えると嘘でも否定すべきなのか。しかし後者の対応をするにしても、これから冗談とするには少々無理があることに気付いていた。

「…・………はい」
「……それで」
「え?」
「上官に対して堂々とクレームをつけたことに対しての処罰は受けるのかい?」
「……謹んでお受けします」
「それがどんな事であってもかい?」
「……常識の範囲内であれば」

 そうか、と一言言ったきりロイは何も行動を起こさない。デスクから手を放し、自分の背後に立つ男が一体何をするのかと、はそっと顔を上げて振り返った。

「……大佐?」
「…………」
「もしかして、ワザと?」

 目に飛び込んできたのは、肩を細かく縦に揺らしたロイの後姿。必死に笑いをこらえているその様子に、部屋の緊張感は急速に緩まった。

「いや……ははっ」
「はっきり言っていただけますか」
「くくっ…・…いや、君があまりにも予想通りの反応をしてくれるから、つい、ね」
「つい……」
「あー……ははっ……こういうのも面白いな」
「そう思えるのは、からかっている方だけです」
「そうかい? 随分と焦っていたようだが? 少尉」
「それは…・…」
「私はいつもそんな事で罰した事は無いと自負しているんだが」
「……はい。……でもなんだか、大佐がいつもと雰囲気が違っていて……その……」

 が言葉に詰まっていると、ロイはその大きな手で彼女の髪を梳いた。それは先までの言葉とは全く正反対の優しく暖かい手であった。

「君は全く……人の気も知らないで」
「……はい?」

 どういう意味かと問うより早く、の座る椅子はぐるりとまわされた。一瞬の事に何もできず、気が付いたときには深い漆黒の瞳に囚われてしまっていた。
 後頭部にまわされた手に支えられ、身動き一つ取れない。見上げた顔が、嫌に艶に見えてしまったこともその理由の一つ。
 の唇にそっとロイのそれが触れた時、一体何が起こったのかわからなかった。頭は再び真っ白になり、体がその熱さに溶けてしまいそうだった。

「君を想っても想っても、振り向いてももらえないなんて思わなかった」

 の耳元で優しく囁かれたその言葉。言われた本人は全く状況がつかめずに、ただ目を見開いて驚くしかなかった。

「あ……の……」
「君は嫉妬の言葉も知らないのかい? 私はそのために受話器を放したくとも放せなかったというのに」
「……それ、って」
「いつまで君は私を焦らせば気が済むんだろうな」
「そんな事、ない……」
「いや、ある。いつも気があるような素振りを見せるくせに、こういう時ばかりはシラをきろうとするのか?」
「違う!」

 独りでに強くなった語調には口を押さえた。誤解を解きたい一心で言っていたのに、いつの間にか目には涙が零れそうにだった。
 女の涙は何よりの武器だ。そう言ったのは一体誰だったか。子供をあやすように、ロイはそっとの頬をなでて、その瞳を慰める。

「綺麗」
「……悪趣味」
「そういうところが可愛いんだ」
「変態」
「何でもいいよ、君が傍にいれば」

 そしてふっと離れたぬくもり。それに急に寂しさを感じて伸ばした手は、ロイの服の裾を掴む。
 それを見たロイはふっと微笑み、もう一度、椅子に座るに向かってかがみこんだ。

「では。仕事の後、食事にでも行こうか」
「……はい」

 返事を聞くと、ロイはの頭をぽんぽんと撫でて立ち上がった。

「でもっ!」
「ん?」

 涙声になりながら言ったの目は真剣だった。

「その仕事、終わらせられるんですか……?」
「…………全力で頑張ります」




















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