気がつけば君を探す



 静かに時を刻んで進んでいく規則正しい音を聞きながら、ふとした視線を外に送った。窓のむこうに望んだ家々からは幸せに包まれた琥珀色の光が溢れている。去っていく車の音が消えてしばらく自分の世界となった部屋。
 もうそろそろカーテンを閉めなければならないと知りながら、小さな明かり一つの下に座るに立ち上がる気配は無い。窓の外の光景に吸い寄せられるように体を傾けると、首から下がった青の贈り物が微かに硬い音を立て、その手に持った本がぱらぱらと先を急いだ。しかし本人は焦りもせず、しばらく街並みを眺めた後、ゆっくりとページをたどる。
 乾いたノックが耳に届いた。何を怪しむこともなく、どうぞと言うと、入ってきたのはである。

「あの人が、またいらっしゃっていたのね……」

 は読みかけの本に栞を挟み、それを閉じた。

「はい。言いつけの通り、お帰りになっていただきました」

 相変わらず淡々とした口調である。
 が立ち上がってカーテンを閉めると、すぐには部屋に明かりを灯し、眩しさに目を細めるとは対照的に相変わらずは俯いたまま節目がちにドアの側に立っている。

「ごめんなさい、……」
 は本当に申し訳なさそうに顔を歪め、小さな声で言う。

「いつもいつも、こんなことばかり頼んでしまってごめんなさい」
「いいんです、私はこれが仕事ですから」

 微かに見えたその笑みにもどこか悲しさがあるように見えてしまうのは、の思い込みばかりではないだろう。彼女の中でどうしようもない苛立ちが、行き場を失ってもがいていた。

「マスタング様は“お大事に”と」
「そう……」
「それから――」

 が珍しく自分から口を開いた事に不信を覚える。は黙って次の言葉を待った。

「一つ、尋ねられました」
「……彼に?」

 それにこくりと肯定した

「一体、あの人があなたに何を?」
「その……私が様と初めてお会いになったころの髪の様子を聞かれました」
「髪の様子?」
「はい。どう答えたらよいのか判断に困ったのですが、あの方に偽りを言ったところで直ぐに露見してしまうでしょうから、正直にとても短い髪をでしたとお伝えしました」
「そう」
「何か、まずかったでしょうか」

 いや、の判断に間違いは無いはずだ。

「いいえ、むしろ良い返事だと思うけれど」
 もし自分が彼女の立場だったとしても嘘など言いはしないだろうと、は不安そうにする彼女に笑顔をつくった。

「他には何か?」

 は首を横に振る。
 それから二言三言交わすと、時間を理由にお休みなさいませと部屋を出て行った。はまた、静かな部屋にひとりとなる。
 は溜め息をつき、本を手にすると、ゆっくりとした所作でドレッサーの一番下の引き出しにそれをしまった。
 髪が短かったか……。そう、記憶の始まりは中性的な容姿をしていた自分に始まっている。そして脳裏に浮かび上がったのは髪を伸ばしましょうと言った、優しく微笑む母と名乗る女性だった。何も分からない私に、とても優しくしてくれたのがその人だ。
 マスタング大佐が当時の容姿のことまでを聞く、それはきっと私の過去に確実に近づいていると言うことに間違いない。に直接聞くというのも私の耳に入ることを知ってのことだとしたら――いや、確信しているはずだ。が私と親しい事を知っていれば、例えそれが報告と言う形であっても、聞いたと言う事実も内容も、いずれは私の知る事になると言うことを、彼は見越しているはず。
 は闇に浮かんだ真っ白のベッドに腰をかけ細い腕を伸ばして枕元の小さな明かりをつけると、冷たく重いその中へと潜り込んだ。その中でまるで自分を守る殻をもつ卵のように小さくなって、じわじわと広がるぬくもりを追いかける。
 自分の過去……、例えそれがどんなものであっても私はかまわない。事実を知りたいと思うだけ、ほんの少し知ればより多くを求める。いつの間にか、私もこんなに人間らしくなっていたのだ。背中がぞくぞくとして、とても嫌な気分である。
 過去を知るため、今まで自分でできるだけの事はしてきたが何も出てはこなかった。それにも関わらず、合って間もなくの軍に身を置く人から微かな情報が出てきたと言うことは、私はきっと軍との関わりがあったのだろう。それが看守か秘書か、あるいは囚人だったのかは定かなところではないものの、自分が前に進むための一歩になることはほぼ間違いないはずだ。
 久しぶりに会うのが良いのかもしれない。会わなくてはならない。



















***





















 ひとりで住むには大きすぎる家なのに、使う場所は狭い家に住む頃から拡がることはなかった。寝室、バスルーム、キッチンとリビング。そこに有るのは隠れて潜む、孤独だろうか。
 しかし今日の事を思えば微かに心はあたたかかった。それはの過去とはいえ、彼女自身の核心にずいぶんと近づいたから。
 リビングのソファまで電話を引っ張ってくるとそこに腰を下ろし、指が覚える数字を回す。
 焦る気持ちが静まるようにと、その脇に置かれたウィスキー。その氷が光にキラキラと輝いていた。耳元でコール音が鳴るまでの間にまた一口それを運ぶ。
 時間が遅いこともあり、しばらく待たされるかと思っていたが、回線が繋がると間もなく相手は受話器を取った。

「ヒューズか?」
『……なんだお前かよ』

 出なきゃよかったという言の葉はとても不機嫌な色ではあったが、2コールも終えずに繋がった所をみるとそれは正反対のものであるのだろう。早速、気がかりで仕方が無い本題を切り出す。

「早速だが、昼に頼んだアレはどうなった?」
『ったくお前、前より人使い荒くなっただろ。そんなんじゃ部下がついてこねぇぞ』
「そうだな」
『まったく、どっちへの同意なんだか』

 それからもぐちぐちと小言をこぼすす相手にじれったさを感じた。だがそれも苦笑にしかならない。

「で……何かわかったのか?」
『もちろんあれから急ピッチで集めたんだ。お前さんが知りたいようなことはほとんど知れた』
「そうか」
 ひとまずその返事を聞いて安堵する。もしかするともっと複雑な隠蔽がなされている可能性もあれば、もちろん元々間違った自分の憶測であったという可能性も重々あるわけなのだから。
 そわそわとする心を押さえつけ、耳をそばだてて聞こえたのは深い溜め息。

『なあ、ロイ。一体お前、どういう関係があるんだよ』
「どういう意味だ」
『色々と複雑なヤツだなって思ってよ、その“・デンティーニ”って女』
 グラスに入った琥珀が揺れる。
「先日、見合いをしただけだ。まだ大した事はしらん」
『それなら珍しいなあ。ロイ・マスタングが“だけ”なんて言って、たった一人の女を調べさせるなんてな』
「少し気になる事があっただけだ」
『……そうか?』
 こちらの言動に訝しい声をあげながらも、紙が擦れる微かな音が聞こえた。そして再び聞きなれた低い声が届く。

・デンティーニ……最もお前の話じゃ、今はと言うらしいが――』

 ヒューズが話す間中、ずっと黙り込んでいた。朗々と話す彼の声で語られた彼女の過去に関する仔細には舌を巻いた。よくも半日でここまで調べられたものだ、と。
 そして彼の口から数十分かけて延々と話されたものは、それまで自分が描いていた過去の輪郭をはっきりさせることになった。

 ・デンティーニ、現在24歳。父は国家錬金術師としてイシュバール戦に参加し殉職。
 本人は一般軍人として、父と同じくイシュバール戦に参加し、攻略のため、作戦を立てる上位の軍人と共に行動していた。

『その当時は内戦でごちゃごちゃしていたし、デンティーニ大佐もそんなごたごたの中で国家錬金術師になった。俺達が名前を知らないのも無理はないだろうな。そんな中、現れたのがその娘で当時十代のだ』
「士官学校は?」
『残念ながらその辺はあやふやだ。入った記録はあるようだが、卒業がどうなっているかは良く分からなかった。とにかく頭が良いらしいし、武術もそこそこできる。飛び級も楽だっただろうしな。だからだろう、軍は彼女の頭脳を欲しがって、歳は問題とせず、血生臭い戦場に引きずり出した。そこで彼女は、周囲の期待通りの働きをしていく。味方に死傷者が出てもその地を制定できるならやるという冷徹な女だとも聞いたが、その反面、どんなに辛い決断があろうと笑顔が絶えず、傷ついた兵士には労いの言葉をかける優しい人だという言葉もあった』
「……彼女は悔いていた?」
『おそらくな。自分の計画で多くの人が死んでいる事を知らないわけは無いだろう。そして彼女は長い内戦の終了を待たずして、軍を去った』
「なぜだ? それだけの活躍をしていたら相当の地位に就けるはずだ。士官学校に入ったのも、軍人としての活躍を望んでいたんじゃなないのか?」
『そこら辺のことなんだが……実は彼女が軍を去る数日前に、父親のデンティーニが殉職している』
「……彼女は父親のために参戦していたとでも言うのか?」
『そんな綺麗な理由じゃないようだぞ』

 ヒューズはそこで言いよどむ。
 成功を完全に握った彼女が選んだ軍からの離脱の理由。それは余りに悲しい事実だった。


・デンティーニは、自分の父親を殺したんだ』
































***


















 一つ踏み出したそこは、外界とは隔たった世界に浮かんでいるような空間だった。俗世から一線引いている何とも浮ついたこの雰囲気は、世界知らないようでいて実は世の事を悟る人々が持つものなのか。

「さすが家主催のパーティー、中央からもかなりの来賓がお見えになっているようですね」

 何度もひとりで訪れた家の邸宅。広いサロンに立つ著名人の波を眺めながら傍らに立つリザ・ホークアイは言った。
 見上げんばかりの天井の下、いくつかのまとまりとなっている人たち。東部の政治家、有力企業のトップをはじめとするそうそうたるメンバーの中には、もちろん東方司令部で幅を利かせる将軍クラスの者もいた。挨拶もそこそこに広間の隅の方に退散しているのは、仕事の人間関係をこの場に持ち込みたくなかったからだ。あくまでこの場では、家と付き合いがあるものとして振舞いたいという勝手な思いだ。

「しかし大佐、本当によろしかったのですか」
「何がだ?」

 手にしたワイングラスの酒は一向に減ることはなく、くるりくるりと回る液体から、声を潜める副官に視線を移した。深紅のドレスを着た彼女は、多くの男性を振り向かせている。

「此処に私までお呼びになるなんて、大佐のお相手に変な誤解を招きはしないのですか、と」
「……随分と言い切るものだ、中尉。余程自分に自信があると見える」
「そうではありません。ただ私が誤解の元になることが嫌なだけです、嫉妬深い方もいらっしゃいますから」

 言いながら先ほどからちらちらとその方向を見ているあたり、とても気にしているようだ。旧家の令嬢と言うレッテルには、当然“我侭”と言う部分も含まれているらしい。

「その点、彼女は面白くないばかりだよ」

 残念なことに彼女は嫉妬深くないばかりか、恋愛にすら興味が無いと見える。ひとつの恋の醍醐味ともいえるその面が彼女の性格はないのである。
 しかし、そもそも中尉を此処に連れてきたのは国軍大佐としての面目だった。形式的なものとはいえ、一人身でこういった場に来るのは気が引けた。かといってを誘おうにもずっと会ってはくれていないのだから、人伝えにでも申し込んだところで、その返事は火を見るより明らかだ。
 それに自分が持たない上流の方々との付き合いには、むしろ中尉がいたほうが都合が良いと考えたからである。あくまでそれも、ものを聞きやすいと言う面でと言うことではあるが。
 何も変な意味で此処に招いたのではない旨をのだということを告げると、中尉はそれならと言ったまま、だんまりを決め込んでしまう。
 そして今日、未だこの場にの姿を見ていない。場内の端から端まで目を凝らして探したが、彼女らしい人すら見つけることは出来なかった。
 彼女は主催者の娘だ、いくら彼女が断ったところで卿の性格を考えるとあの容姿の娘を人前にさらさないわけがない。過剰な装飾でその美しさを隠すような無粋な真似もしないだろう。となると、どうやら登場が遅れていることらしいことしか頭には浮かばない。
 それでも彼女の姿を探していると、中尉はふと卿に挨拶をしなくても良いのかと言う。しかし我々を招待した張本人の卿に挨拶しようにも、肝心の彼は未だ人ごみのなかだ。その中に割り込んで行ってまで、口上を述べる気にはなれない。そこでしばらくの間この場で待とうと思ったが、何とも手持ち無沙汰なものである。
 ふとここに着いた時の事を思い出した。

「そういえば……」
「どうなさいました?」
「もしや此処の警備、軍が絡んでいたか?」

 中尉が盛大に溜め息をつく。

「大佐、先日の書類にこの件についてのものもありましたよ? こんな狭いところに国の要人が集まるんです。国を挙げて警備するのも軍の勤めですよ」

 見回してみれば場内にもタキシードに扮した見た覚えのある顔がちらほら。他の来賓に比べて忙しなく動いており、一目でただの客ではないことが伺えるその様子に鼻を鳴らした。

「するならするで、もう少し気を遣えばいいものを。あれでは折角の催しも台無しだな」
 そうですか、と何とも曖昧な返事が返ってくる。
「一体、指揮官は誰だ?」
「……アーキン少佐です」
「ほう」

 副官が言いづらそうにしていた名前にやはりというべきか。縦社会の軍のなか、こんな小さなところにも律儀になるのは当然のことでもある。
 アーキン少佐……確か彼は一般の軍人としてイシュバール戦に参加して手柄を上げたのだった。それがなければ今頃はどうなっていただろうと噂されるほどに部下の不信感を買っているという。その話は東方司令部内でも有名なものだ。彼が指揮官というなら、この警備の様子にも納得がいく気がした。

「後は主人公の登場を待つのみ、か……」

 ワインを飲み干し、未だ現れぬ人を思って広間の大きなドアに向く視線。

 そしてその時は唐突に、しかし静かに訪れた。ゆっくりと開いたその扉から歩み出る一つの陰が、一瞬にして人々の雰囲気を変えてゆく。
  人をひきつける彼女の魅力がなくなることはなく、その歩みのひとつすら繊細で、まるで花びらを散らす妖精のよう。綺麗にアップされたウェーブの髪をふわりと揺らし、淡い桜色のドレスに身を包んだ愛らしいがそこにいた。



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