嘘をつくなら最期まで



 煌びやかなシャンデリアの光の下に現れたその姿に、場内の多くは息を飲んだ。オフショルダーのドレスは彼女を儚く優しい印象にみせ、幾重にも重ねられたレースがふんわりと広がった裾には可憐さが伺えた。ゆっくりと歩く様もその印象を一層強める。

「綺麗な方ですね」
「ああ……君は彼女に会うのは初めてだったね」

 ロイもまたその姿に見とれる例外ではなかったが、華やかなその様子にはとても胸が締め付けられた。その人の本人も知らない過去を知ってしまったことで、見る目が変わってしまったのである。今まで美化することはあっても哀れには見えなかったその姿を、今となっては憐憫の姿としてうつす。


 父を、殺した? ――ああ。と言っても直接手を下したわけじゃないが。

 彼女が立てた作戦で、か。 ――実行すれば犠牲者が出るのは確実だったらしいが、そうしなければならない状況もあったようだな。軍からすれば、何よりも町の制圧が第一だっただろ?

 退役の後は…… ――お前の思ったとおりだ。いつの間にか家の養子になったらしい。


 昨日のヒューズとの会話が、鮮明に蘇る。しかし結局、向こうがつけたのは“おそらくな”の一言。仕事の合間に駆けずり回ったくらいでは、当時の彼女の心理を知る事はできなかったという。そして、を養子とした家の真意もよくわからない。養子を迎えるなら、女よりも男がいいはずなのである。わざわざ婿を探して家を任せるよりも、自分の息子に継がせるほうが明らかに簡単なことで、余計な手もかからないのではないかと思う。
 また、ハボックが見つけた軍人時代の彼女の資料にはとても簡易的な内容が連ねてあるだけだった。戦時中のものということも有るのだろう。そこには彼女の退役の理由はおろか、軍人として戦場に出たことも曖昧にしか記していない。
 知る事ができた彼女の過去は、詳しかったがわずかな気がした。
 も上手い具合に記憶を失ったものだ。そしてそれが、にとって良かった事のように思えて仕方ない。しかし過去を知る者から見れば、彼女の置かれた状況は余りに哀れ。

「マスタング大佐……いらしていたのですか」

 突然、どことなく聞き覚えのある声で名を呼ばれた。その主のほうを見れば、黒のスーツに身を包んだ見知った男。

「アーキン少佐」

 同じ司令部の少佐とはいえ、まともに話したことは数えるほどしかない。
 外見からしてもそれほど屈強な男には見えず、ただ印象深いのはその狡猾な顔であった。

「今日の職務の件は聞いている、ご苦労だね」

 年下ということで見下されることが無いよう、高圧的にものを言う。それを見た相手の顔が少し引きつった。

「はっ! 何か事が起こりましたら、どうか大佐のお力添えを」
「その前に、君達が決着をつけられる事を期待しているよ」

 短い挨拶と、簡単にではあるが会場警備について聞かされた。聞いたところで仕方が無いとは分かっていたが、特に静止もしなかった。人に囲まれたに会いに行くことも躊躇われ、時間をもてあましていたからだ。
 呼びかけられて数分、失礼します、と去っていったアーキン少佐の後姿に何かを覚えた。


「マスタングさん」
「これは卿」

 成り上がりの少佐が去っていくらもしないうちに、人並みを掻き分けて聞こえた声の主。つややかなチャコールグレイのダブルスーツ姿で、数人の取り巻きをつれて現れたのはこの家の当主である。
 ロイは自分から挨拶に出向かなかった非礼を詫びるが、対する卿はあまり気にはしていないようであった。

「本日はお招きいただきありがとうございます」
「いや、今日はよく来てくださった。ところで、そちらは?」
「私の秘書官です、一人でやって来るのはいささか気が引けて」
「リザ・ホークアイと申します」

 中尉が名乗ると、卿はにこやかに返事をしながら頷く。やはり誤解が生まれるなどは中尉の杞憂に過ぎなかったらしい。

「もう娘には会われましたかな」
「いえ、それはまだ……。見れば何かと忙しそうですし、しばらくして落ち着いてからと思っていたところです」

 視線をの方に向ければ彼女は彼女なりの接客をしているようで、丁度父親と変わりない年代の男性と話しをしていた。表情はまるで微笑んだ仮面のようである。そんな彼女を中心に、幾人もの人が集まっていた。
 少し離れた所には、あのアーキン少佐が後で手を組み立っている。

「今日はお嬢さんが、一段と綺麗に見えますね」
「はは、その言葉は是非本人に言ってやってください。今日は珍しくパーティーに出ることも嫌がらなかったのですよ。むしろ何処か急いている様子でしてね、あのドレスも自分から選んでいたのですよ」

 ようやくこういった場に興味が出てきたのかね、と嬉しそうにヴェラス今日は語った。しかし見る限り、そんな理由は微塵もなさそうである。
 それではと、卿が締めくくった時も、はまだ先ほどの場所から動けてはいなかった。話し相手だけが変わっていたが、彼女の笑顔は相変わらずである。と話が出来るようになるには、今しばらくかかりそうだ。

 卿が去って直ぐ、数人の人に声をかけられた。その人達は皆揃って軍部と関係深い企業や会社の関係者。する話はといえば、最近の東部の治安だの軍の方向性だの、おおよそこの宴の場には相応しくないようなものばかり。気は進まなかったが適当に受け流して、下らない談笑もいくらかはした。だがどれもとても味気なく、小一時間もすると、自然と溜め息をついていた。
「お疲れのようですね」小さなそれ聞きつけた中尉の一言。最後までべらべらと話していた初老の男がつい先ほど去っていたばかりである。

「こういう場でもっと気の利いた話題は出せないのだろうか。こんな所に来てまで軍のことなど嫌になるな」
「向こうも必死なのでしょう。企業から見れば、軍の相手の仕事は他に比べて美味しいものなのですから」
「取り入る側も大変だな……」

 中尉こそ立ち続けて疲れたろうと心配すれば、慣れていますからという返事。どうやらパーティーも終わりに近づいているらしく、人々の話し声もはじめに比べてずいぶんと小さくなってきた。
 その場内をぐるりと見渡す。肝心のと話すことを忘れたわけではない。
 しかし、目的の彼女は見当たらなかった。

「彼女はどこに行ったんだ?」

 中尉も視線をホール内に走らせる。

「見当たりませんね……」

 化粧室ではないのかと中尉は言ったが、会場を見回す自分の目に映らないものがひとつ。

「……アーキン少佐は?」
「場内警備と聞いていますが……」
「あいつが、いない」

 背中を這い上がる寒気。仄かな酔いも一瞬にして飛んでいった。姿の見えなくなった人が、ふたり……。

 これは邪推か? しかしそれは、肯定する事のほうがはるかに簡単だ、否定する要素が見当たらない。自分の浅見に腹が立った。同時にどうしようもないほどの焦りが頭を駆け巡る。
 アーキンも、イシュバールに参戦していたじゃないか。
 速まる鼓動が耳の近くに聞こえた。
 どうして、その可能性に気が付かなかったのか、自分はなんて愚かだったか。
 そう。アーキンがもし、の過去を――・デンティーニの姿を――知っていたのだとしたら、今の彼女にその面影を見たとしたら。それがもしアーキンでなくとも聞くだろう。

・デンティーニさんじゃありませんか』と。

 その言葉を聞いたとき、彼女は相手をどういう目で見るのだろう。跳ね除けるだろうか。不信感を覚えて、適当にはぐらかすだろうか。

――人は過去の上にあるものよ。

「……っ!」

 ああ、彼女はきっと拒まない。跳ね除けることなど出来ないだろう。あの雨の日に、の言葉は過去を欲しているとはっきり訴えていたじゃないか。そして目の前に突然現れた自分の過去を知る人物。彼女がみすみすそのチャンスを逃すわけが無い。なんとしてでも聞き出すだろう、自分の欲する情報を。
 その相手がアーキン少佐というのが悪かった。彼には思慮というものがない。聞かれればどんな内容でも全てに答えるだろう。まして彼女の容姿に変な気を持ったとしたら、気に入られたい一心で何をするか分からない。
 も話しをあわせることで自分の記憶喪失を隠そうとするだろう。同情を嫌った彼女のことだ、知られたところで聞きだせるものも聞きだせないという考えにも及ぶだろう。面倒を避けたいと思うなら適当に話をして、相手の様子から当時の状況を知ろうともするはずだ。
 そしてアーキンの口から、自分のしていたことを知ったら……。

「探すぞ」

 中尉は驚いたように、ロイを見上げる。

「どうしたのですか」
「彼女が危ない」
「それは一体……」
「とにかく探す。きっとアーキン少佐と一緒に居るはずだ」

 あまり目立たないように人込みを避けながら急いで会場を出る。できる限りに急ぎ足で広々とした廊下を進む。会場に比べて冷えた空気が、いつの間にか額に浮かんだ汗を感じさせた。外からの月明かりが分かるほど、暗くライトを落とされたその廊下は、緊迫した状況に立つ身にとっては不気味にしか見えない。
 ひとまず、を探さなくては。彼女を見つければ、何とかなると思ったのである。が父に嘘をつこうとも、にだけは真実を話していることを知っていた。おそらく会場を抜け出すにしても、彼女にだけは事情を話すに違いない。に寄せる信頼は絶大だ。
 しかし、その人も今はどこにいるのか分からない。闇雲にこの屋敷内をうろうろしていて、果たして会えるものだろうか。
 追ってくる足音は中尉である。

「大佐、一体どうして突然……」
が過去を知ってしまう。どうしてもそれを止めなくては」
「……過去を取り戻すということが彼女の希望なら、良い事なのではないのですか」
「聞く相手が、アーキン少佐だというのが悪いのだ」
「それは……」

 丁度廊下も分岐点に差し掛かったとき、左の通路から人が歩いてくる気配があった。一旦足を止めて、その人が通り過ぎるのを待った。しかしその人が通り過ぎることはなく、自分達と同じようにすっと立ち止まる。

「お客様、すみませんがこちらはパーティー会場ではございませんので、お引取り願います」

 この家の使用人らしいと、その洋服から知れた。前で重ねられた小さな手。静かな場所に落ち着いた声色が響く。
 深々と下げられた顔がゆっくりとした動作で上げられた。白く浮かび上がった表情に、色はなかった。遠くから漏れ聞こえる軽快なワルツの音楽が、とても大きく聞こえる。

さん?」

 相手は驚いたような表情も見せず、以前と変わり無い淡々とした口調で話す。

「マスタング様……。すみませんが、先ほども言ったとおりこちらは会場ではございませんので」
「それは知っています」

 は眉をひそめて、当惑しているようであった。しかし事細かに話しているような余裕は無かった。
 時間が無いのである。その事を悟っているのだから、何よりもまず本題に入るべきであることは明らかだ。

嬢は今何処に?」
「……存じません」
「しかし会場にも姿が見えない。いくら自由奔放にお育ちとはいえ、まさかこの宴席から抜け出しはしないでしょう」
「お嬢様の性格でしたら、それこそありえることかと思いますが」
「もしや何かあったのではと、ご心配にはならないのですか」

 その言葉に何かを思ったようである。は少し考えた末にそれを否定した。そのしばらくの間は、この会話には不釣合いなほど長く、言葉を選んでいると取れないこともないが、続いた言葉はそう思えるものではない。

「心配なことなどございません。どうか会場にお戻りを」
「ご心配されるのが、普通ではないのですか」

 その一言には鋭い目になった。仮面が外れたように、先まであった無表情の一切が消えてこちらの様子をうかがっているらしい。
 が深い知性をもっているなら、その相手をする彼女もやはり理知を持つのだなと悟る。

「仮にもこの家に仕える者の言葉とは思えない、ましてあなたは嬢の親友ともいう方だ。心配はないなど、彼女の行方を知らない限り、到底言える言葉ではないと思うのですが」

 は顔を逸らし、しばらく黙っていた。
 ロイは、いつの間にか硬く握り締めていた自分の拳に心の中で苦笑した。
 華やかなワルツの音楽は終わりを迎え、さらに小さくまばらな拍手が聞こえている。
 月が、雲に隠れた。

「もう一度聞きます。嬢は今、何処にいらっしゃるのですか」

 焦る気持ちと上手くいかないことへの怒りを押さえつけて、取り繕った穏やかな口調で尋ねる。はゆっくりと顔を上げ、力強い目でロイを見上げた。表情にとても悔しそうな色も見え、気が強そうなところもとてもに似ている。

「……マスタング様にだけは、居場所を教えないように言付かっています」
「私にだけは……?」

 相手は頷く。
 が自分を拒否していることで、もう彼女のしようとしている事は知れたも同じだ。あのが、少佐に一目惚れするなど考えられないし、話したところで相手はあの不粋な少佐だ、満足できるとは思えない。
 軍に何か関連がある者だったということはもう知ったことだろう。パーティーの招待をうけた日に、に聞いたことからも知ったはずである。
 そしてはロイから過去を聞くよりも、今日始めて会うであろうアーキン少佐の口から過去を聞く事を選ぶというのか。

「お嬢様は、個人的にお話がしたい方がいるとおっしゃっていました。それ以上のことは言えません」
「それの言葉は、あなたの余裕か?」
「余裕ではございません、言われた事を守るのが仕える我々の義務ですので。マスタング様のおられる軍部内でも、それは変わらないことと存じておりますが」

 語尾には自信が滲み出ていた。彼女は否定したが、それでもその言動からはやはり余裕が多分に感じられた。
 ならば“個人的に話したい相手”と言って名前まで伝えなくとも、少なくともその身分くらい明かしているだろう。が心配だと感じる相手であれば、それを止めるのもまたの役目であり責任でもある。
 その上で思っているのだ。の身に何か起こるわけがない。ましてそれが軍の人間だとしたら、何か心配するようなことが起こりえるはずが無いと、そう高を括っている。

「周りからなんと言われようと、それが上からの命なら死守するというのですか」
「そうです」
「彼女……嬢が傷つこうとしていると言われてもそれは変わらないのですか」
「……どういう意味ですか」

 が怪訝の目を向ける。

「彼女が話しをするといった相手は、彼女を必ず傷つける」
「それは一体」
「詳しいことはまだ言えない。しかし断言してもいい。もしかすると、今彼女が話しているという男はこの家の名にまで傷がつく不祥事まで起こすかもしれない。何かあってからでは遅い、だから話してくれ。いま、は何処にいるんだ!」

 は驚いたようにロイを見て、その言葉の真意を量りかねているようであった。視線は忙しなく動き、下唇を噛んでいる。握られた拳が緩められる様子はない。

 相変わらず遠くから、華やかなヴァイオリンの音が響いていた。
 終盤に差し掛かった演目は、その日の序曲に過ぎなかったのかもしれない。
 


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