君が嫌った顔で微笑んだ 階段の上に現れたその姿に目を見開いた。 信じられない。しかしあの人は、間違いなくあの時街で出会った彼女だった。暴漢から助けた、不思議な雰囲気の女性にまさかこんな所で合えるとは夢にも思っていなかった。その姿かたちは品が増し、外見こそ違っては見えるものの、独特の光を持ったあの瞳は、心惹かれたあの時のまま。 しかし本当に彼女が家の娘なのか、確信には至らない。仮にそうだとしても、あのような暗い路地裏に一人で迷い込むようなことがあるのだろうか。一般人でも足を踏み入れようとはしないその場所に、なぜ彼女のような身分の方が? そもそもあの場所に何の用があるのだろう。 際限なく浮かび上がる問いの答え全てを自分の中で解決するのは不可能だ。最終的に街での女性が家の令嬢であることを証明するには、彼女本人の確認が必要なのだから。しかしたとえそうだとしても、思索することはやめることはできなかった。忘れようにも忘れられなかった彼女への、蓄積したものは思いのほか大きかったらしい。考えるたびに、一つ一つ、泡と消えゆく虚しい思い。それでも心はわずかに満たされていく。 氏はじっと見つめ合ったまま硬直している我々を見て、困惑しているようだった。2人の顔を見比べ、何も言わずにただ屹立するのみ。しかし愛娘に向く視線がとても厳しい事を嫌でも感じてしまったのである。愛しい姫君の登場を微笑ましくは思っていないかように。半ば睨みつけるそれは我々の出方をうかがっているようにも見える。 「……君たちは、知り合いなのかね?」 氏は、ゆっくりと口を動かした。それは安易に疑っているのだということを窺わせる。心の中を見透かす様な低い声は不気味なほど広く、ホール内に響き渡った。心臓がドクンと大きく脈打つ。 何か言わなければならないと思った。言い訳でも嘘でも内容は何でも構わない。そうしなければ、何か良く無い事が起こることを直感したのである。しかし顔が彼のほうに動かない。 さすがは有名旧家の当主。その仕草一つとっても威厳と自身に満ちて、体中から低俗なものを寄せ付けない独特のオーラを放っている。この様な階段に立つ彼女にも共通する、人を圧倒する力はなかなか見れるものではない。人を恐れさせる不思議な力。 まるでそれから逃れるように、彼女の顔色をうかがった。はたして、町であった事情までを話していいものなのかよく分からなかったからだ。もしかしたら人違いということも無いわけではない。この瞳に見覚えはあっても、まるで違う人という可能性も拭いきれないのである。下手なことは言うべきではない。 彼女は壇上で顔色一つ変えず、父を見据えている。そう、氏が鋭い視線で尋ねたのは、自分ではなかった。段上で立ち尽くす愛娘に向けて発した言葉であったのだ。 「まさか」 彼女は小さく肩をすくめて否定する。口元には微笑が浮かんでいた。 「父上、私は特別なとき以外に外出ができないと知っているでしょう? 外の男性と話をするのだって珍しいのに」 白い手すりに手をかけ、ゆったりと階段を下りながら流暢に言葉を操って父親に語りかける。その姿は、さながら映画の中に出てくるお姫様。優雅で美しい事は確かだというのに、その姿から微かに漂う悲愴感がある気がした一瞬。 父の顔はそれを聞いても晴れる気配は無い。むしろ、彼女の言動を疑ってかかるように全く視線をそらそうとしないのである。 何も言わずじっとしている自分は、まるでここに存在していることさえ忘れ去られている気さえした。 そして最後の一段を降りた彼女。上質な赤い絨毯の上に小さな靴で立つと、彼女は真っ直ぐに近づいてくる。すっと背筋を伸ばし、髪を揺らす彼女にやはり近づきがたさも感じる。 頭一つ分程度、自分よりも小さい人は目の前でぴたりと止まった。同時にふんわりと肩に落ち着くブラウンの髪。ほんのりと頬に覚える赤らみは、彼女の薄化粧のせいだろう。そして柔らかな桃色の唇が言葉を紡ぐ。 「初めまして。・です」 にっこりと微笑んだ彼女の姿は想像していたものよりはるかに美しい。一瞬にして雲が払われ、まるで澄み切った青空のように空間が開けた気がした。聞いて心地よいアルトは耳にいつまでも残る。柔らかに見つめられながら、初めて知った彼女の名。ゆっくりと体中に染み渡るような感覚を初めて知った。 それと同時に、彼女が街であった人である可能性が高まった事を知る。そして完全にシラを切ろうとしているのだろうということを察した。清々しい笑顔が、一瞬崩れ去り、鋭く貫いたのである。すぐ隣の父親にさえ、気付かれないほど微かな変化ではあったが、明らかにそれだった。 『話さないで』なんて、切実で弱いものではない。明らかにそれは『言うな』というメッセージを秘めているように見えた。 彼女のその行動に微苦笑して思う。隠しておくことが望ましい事実はいくらでもある、と。 「……こちらこそ初めまして、私はロイ・マスタングと言います」 “街でお会いしましたよね”という言葉は飲み込み、にこやかに挨拶を交わす。まだ確信ではないと思いなおし、言わなくて良かったのだと自分に言い聞かせた。彼女はそれに安心したのか、幾分頬を緩めて笑っているようだった。 しかし気になることが一つあった。それはおそらく彼女が隠し通そうとしていることではなく、この親子の雰囲気である。今まで感じた事のある親子の情とは違うことは明瞭であった。もっと冷淡で深い、常人には理解できないところで繋がる何か。それを具体的に知るすべは無いものの、数分というこの時間で分かったそれだけは確かである。 「これで役者はそろいました。では、奥の部屋に」 氏はそう言うと、背を向けて歩き出した。赤い絨毯は足を進めるたびに柔らかに沈む。 合わせて自然と二人は並んで歩くことになったのであるが、頭一つしか違わない隣の女性のことが気になって仕方がない。ちらりと横目で確認すると彼女は緊張しているように顔をこわばらせて、一心に前に立つ父親を睨みつけていた。 確かめてみる必要がある、と、小さな声でつぶやく。 「お元気でしたか」 彼女は一瞬息をのんだが、顔を付き合わせようとはせず、じっと前を見つめている。 「えぇ……とても。しかしあの時のことは」 「ご心配なさらず」 「え……?」 「君に街で会ったことを父上に言うつもりはありませんので」 確信したのはあの香り。鼻をかすめた微かなものは、確かにあの時彼女が残したもの。 始めこそ驚き目を見開いていた彼女も、その後には少し顔を赤らめて、こくんと小さくうなずいたのである。先ほどの階段の上での威勢の良さは全くどこに行ってしまったのか。そんなしおらしくなった彼女が、たまらなく可愛くて、どこか懐かしい甘酸っぱい気持ちが湧き上がったのである。 こんなにも温雅な人に何故良い婚約者の一人もできなかったのだろうか。いくら気が強いと言えども、家の名も充分、容姿も申し分ないのである。それだけ恵まれた女性を手に入れようと思う男はいくらでもいるはずだというのにそれがいないという事は、もっと他に、まだ見えていない理由があるのだろう。 視線を氏の背に戻し、隣を歩む彼女の歩調に合わせつつ、その小さな手を握りたくてもそうはできない心の葛藤が、部屋の椅子に座るまでしばらく続いたのであった。 + + + + 「……マスタングさんは軍で仕事を?」 「ええ、今は東方司令部に勤務しております」 「、それに彼は国家錬金術師でもあるんだ。今は大佐だが、まだ若い。きっとまだまだ出世なさるお方だよ」 「……そうですか」 「恐れ入ります」 通された部屋も、これまた広くきちんと掃除も行き届いた立派な部屋であった。しかし、配置されている家具や装飾品は一流品であろうにも関わらず、玄関の圧倒されるような豪華さとはまた違った空気が漂っている。一つ一つがまるで意思を持ったように、空間を譲り合い、しっかりとまとまった形で凛と存在しているのだ。腰かけたソファは不思議なほど白く、まるで買ってきたばかりの物のよう。大きな窓の脇には鮮やかではあるが部屋本来の雰囲気を壊さない、控えめでさわやかな薄緑色のカーテンが下がっている。この家には不釣合いにも思えるこの部屋の住人のセンスをうかがい知ることができた。 向かいに座ると名乗る女性は、綺麗に足をそろえて白のソファに押しかけていた。テーブルの上には紅茶が一揃い並んで、和やかな雰囲気には変わりない。彼女は話に積極的に加わろうとはしなかったものの、最低限の事は口にするし父に促されて反応も示す。 ただ気になったのは、とても表面的な笑顔しか浮かべないということであった。頬をあげて、口元もつりあがるが瞳には隠しきれない冷たい物が宿っている。恐さすら感じるそれが、何故なのかと思うほかなかった。 一通り互いのことが知れたところで、氏は席をはずすと言い出した。『邪魔者は退散するに限る』という見合いには付き物なあの言葉を残して、あっさりと外に出て行ってしまったのである。家お抱えの使用人も出るように手配したらしく、3分もしないうちに部屋は二人きりになった。 風が窓をかたかたと揺らす音が耳に痛い。背中がちくちくするような沈黙が、まもなく訪れる。 いくら好意があるのだとしても、会う口実が権力を目的とする見合いでは、ムードも何もあったものではなかった。初めて会ったわけではないが、普通と呼べる出会いではなかったのだから。“軍人”と“国民”という堅苦しい出会いの肩書きには失笑するしか無いだろう。 そしてこの家に来て知ったことはわずか。それもあまりにも上辺だけの彼女。 年齢は24歳、趣味は絵画と音楽。紅茶が好きで、自ら淹れることもしばしば。――これらはきっと1日過ごせば見えてくるあまりにも表面的な彼女だった。いまだに彼女がどんな人なのかよく知れないのが現状である。 気を紛らわすため、紅茶に手を伸ばし、一口すすってまたテーブルに戻す。話すタイミングさえ見出せない。それはお互い様ということか、彼女も言葉を紡ごうとしている様子は無かった。俯くように座り、目をあわせることすらしようとしない。足の上に軽く組まれた指先が、落ち着きなく手を叩いている。 2人きりの部屋の中、外から風に揺れる木の葉のこすれる音がかさかさと聞こえた。ああやって騒がしくできる事がうらやましい限りだと思う。 カップを手にし、再び紅茶を一口飲んで何もいわない彼女の顔を見る。巻いた髪はゆったり肩に流れ、ブラウンは照明のせいか、とても鮮やかに映った。伏目がちの睫の長さやその立ち振る舞い方が、さながらアンティークの人形だと思った。 すると突然ぴたりと視線があってしまった。私の視線を感じたのか、顔を上げたのである。 黒の瞳に胸元がざわざわと沸き立つ。力あるその視線から、逃れることができない。 永遠に続くかと思われた、現実には3秒にも満たない時間。 じっと2人は見詰め合っていた。何も言わず、表情もつかめない女性の瞳に何故こんなに惹かれてしまったんだ? すると、いきなり彼女は口元を緩め、くすくすと笑い始めたのである。それは玄関ホールで“はじめまして”を交わした時のものよりもずっと自然な笑顔だった。笑い声までも心地よい。内からこぼれ出たような、彼女のその笑いが、たとえ少し含みを帯びていても、ずっと魅力的だった。 「そろそろやめましょう、こんな事」 しかし彼女の口をついて出た言葉は予想もしないものだった。 「お互いにこんなことは望んでいないんですもの。私もあなたと結婚を前提に、お付き合いする気は全くありません」 「…………」 「すぐに出て行ってくださる?」 鋭い眼差しで言い捨てると、彼女はドアを顎で示した。膝の上で組まれた手は、人という人全てを拒んでいるようにも見える。 政略結婚の道具として使われようとしている女性が、相手の男に見合いを壊すことを言えるなど、思いもしなかった。同時に氏が言っていた彼女の婚約者の一人もできない理由が分かった気がした。名家の令嬢とは思えない言動。その上、父親の居ないところでこんな事を言われたのではたまったものではない。しかもほとんど初対面のこの席で言うことにこそ、彼女の言葉に効き目はある。強い言葉で反論することはもとより、些細なことでさえ言い返せないのだ。誰女性がこんな事を言うことなど、想定しているものはいないのだから。女性相手に実力行使をすることもできないとなれば、ここで逃げ出すものも多かったのだろう。 甘い蜜を吸おうとする男、それを知る彼女は上手。彼女は完全に見合いの席を壊すために、この言葉を発しているのだ。 その宣戦布告が自分に与えた影響は、きっと彼女の予測とは違う。おそらくその真逆。その証拠に顔の筋肉がゆるんでゆくのがはっきりと感じられたのである。 「なかなか鋭いことをおっしゃる方だ」 素直は引き下がれない。言う通りになる事はすぐにここから出ることを意味しているから。そうなれば2度とこの家を訪れる事もなくなるだろう。そしてよほど運が良く無い限り、彼女の瞳を捕まえることも不可能となる。 元から彼女がこんな風だと知っていれば、会話も楽しめたのではないだろうか。 「しかし君は決め付けて話しすぎる。私が、いつあなたとの結婚を望んでいないと言いましたか」 「愚問ね、見ていれば分かるわ。玄関ホールで父上と話していらしたあなたの顔、とても乗り気とは思えなかったもの。それにどうせ大佐という地位にかこつけた、上層部の方からの頼みで断れなかったという事ぐらい容易に考えられる」 「……なかなか素晴らしい洞察力で」 「その辺のお嬢様と一緒にしないで。私はひらひらしたドレスを着て、親からもらったお金でのうのうと暮らそうとは思っていないの。もちろん結婚だって、ね」 それはすごい気迫だった。それまで父親に見せていた物静かな姿は全くの被り物だったらしい。鋭い眼差しには、人を納得させるだけの力があった。 それに頭も悪くなく、優れた人材といえるだろう事を悟った。彼女の言う通り、今まで会った事のある貴族の御令嬢とは全く違う。社会の仕組みもしっかりと理解しているようであるし、その主張する語調もはっきりとしていた。 だから、彼女にこんなにも惹かれる。今までの自分の周りにこうした女性はなかなか現れなかったから。いや、まずこんな女性自体が珍しいに違いない。 「しかし私は頼まれごとでここに来ているわけですから、いいように事が運ばないと株が下がってしまう。……頭のいいお嬢さんなら何を言いたいかはお分かりでしょう?」 「父上に、嘘でも良いから“マスタングさんは良い人ね”と言えと?」 「そんなところです」 「私を扱き使おうと?」 「聞こえは悪いですが、端的に言えばそういうことですね」 「冗談じゃないわ」 怒りに身を任せ、勢いよく椅子から立ち上がった彼女の瞳にあの冷たさはなかった。言われたことに対し、余程腹ただしいものを感じたようである。 私はその姿を事もあろうに微笑みながら見つめていた。あまりにも自分の予想通りの反応を見せるものだから、つい面白がってしまっている自分がそこにいる。 「私を……女性を出世の道具にしようなんて失礼極まりない。女性は道具じゃない、あなたたち男性と同じ、足を地につけて立ってる人間なんですよ!」 一息で言いきり、微かに肩を上下に揺らす。赤らんだ頬が、彼女の心情をありのままに表している。 そして再度“出て行って”と言った彼女に、汚いと思いながらも有無を言わさない条件を突きつけた。 「君に街で会った、そう君の父上に言うこともできますが?」 「……っ!」 次いで出る言葉は無かった。 それが、自分の持つ、唯一の大きな切り札である。言うつもりは無いと言ったのが嘘にも取られる、自分にとっては大きな賭けでもあるのだ。愛想をつかされることになるかもしれない。しかし少なくとも、今すぐ追い出されることを回避できるのであれば、まだ彼女との関係を挽回することも不可能ではない。 彼女は一瞬固まったと思えば、次には顔を強張らせ部屋の大きな窓に向かって歩いていく。 「どこへ?」 「……バルコニー。言っておきますけど、来ないでくださいね。そのカップが空になったら部屋を出て行って」 「しかし」 「もういいわ、何も聞きたくない」 最後はすがるような声にも聞こえ、それ以上言い返すことはできなかった。 彼女はカーテンを解いてその向こうへと消えた。ガチャリという開錠の音と共にふんわりと膨らみ始めたグリーンのカーテンだけが動くき、その場を穏やかにしているようでもある。 肌を掠る外気が冷たい。しかしそれが、両者一歩も引かないこの論戦の良い幕引きである気がした。 女性も千差万別、一筋縄じゃいかないという事……か。ともかく、すぐに追い出されずに済んだことがせめてもの救いだった。 彼女に言われたとおり、カップが空になったらこの部屋から出なければルール違反。中の液体をくるりくるりと回しながら、その上に移る自分を見つめてみる。悲しそうな顔はしていない。彼女にあんなにも拒まれながら、嬉しそうな色が滲み出ていた。 「女性も人間……そう、人だ……」 彼女は“女”でいることを随分気にしているらしい。男尊女卑なんて、今のこの世界で当たり前というのに彼女は一人ぽつんとそれに立ち向かおうとしているのだろうか。ただ格好をつけるためだけに、そんな事をしているとも思えかった。 しかし父親は決して女性を無下にするような、悪い人のようには見えなかった。それとも裏の顔を彼女は知っているのだろうか。この世界に幼い頃からいるのだから、金や偽りの愛、時には人の命をも軽く扱う世界があることを彼女が知っていてもおかしく無いだろう。 彼女はの深く考えているだけの思いが、言葉の節々に感じられた。人を拒むような冷酷な瞳も、もしかするとその影響かもしれない。 そして外出すら許さない、度を過ぎる父親の過保護がさらに彼女の心を閉じ込めている。そうなれば彼女が街で会ったことを親に知られたくないことも説明がいく。この家から逃げ出してきた事が父親に知れる、それは彼女の身をさらに束縛することを意味していた。 急に切なくなる、寂しくなる。 春の終わり、儚く風に散る桜の花のように、このまま家の中で散っていく彼女の一生。 ――なんて惜しいのだろうか。 これだけの事を考え、多くの思いを内に秘めながら、思った世界に身をおこうと必死にもがくあの姿。彼女はこの不自由な籠の中から出たがっているのだろうか。 部屋の中にすっと馴染み流れる風の薫りをたどっていく。気配をしのばせ禁じられた、しかしたやすく開く扉に近づけば掻き分けた向こう側になびく髪。微かな月の光がそれを照らす。 美しい。可憐で、愛しい。 バルコニーの手すりに手を置いて、夜空を眺めた後姿は触れれば容易く折れてしまいそうだった。何を思って、この場所に逃げ込んだのか、その理由は分かりきったこと。 そっと彼女に近づきその悲しい後姿を抱きしめた。ふんわりと柔らかに、しかし逃げ出せないように。 その刹那、はっと息をのんで彼女の体が強張った。こういうことに慣れていないのかもしれない。こういうところは普通の女性となんら変わらない。いくら強がろうと、やはり下は女性であることを知って、少し安堵した。 なかなか思い切った事をしたものだと自分を責めつつ、これで良いのだと思い直す。 彼女は落ち着きいているように繕って 「来ないでと言ったでしょう?」 「しかし見合い中、相手に見放されるというのも悲しい」 「紅茶を飲んだら出て行ってくれと言いましたよね?」 「あいにく、まだ紅茶は残っているよ」 「では、あなたは嫌がらせという言葉を知っているかしら」 「もちろん。相手が望まないことを、無理やりさせたりしたりすること、と言えば良いかい?」 「そうね、まさに今の状況」 「はは」 「父を、呼びますよ?」 「それはかまわないけれど、ここまで近づいた男性も珍しいはずだ。一体父上はどういう反応をされるのか」 「なかなか意地っ張りなのね……」 「お互いに」 彼女の髪から微かに香る香りが鼻をくすぐる。何も言わなくなった彼女も、この状況を許す彼女も、どれもとても不思議に思えた。もっとはっきりと嫌がられると思っていたからである。 「ミス・」 「…………」 「貴方はこの籠から出ることを望みますか」 「…………」 彼女が街に自由な空気を求めているのだとしたら 「私は貴方が望むというのなら、氏に事を話しはしません」 彼女の支えの一つを奪うことなどできるはずが無い。 「……それは、私を不憫に思って?」 そんな権限も理由も 「いいえ」 皆無に等しいのだから。 「私の勝手な思いやりというものかもしれない」 彼女はそれきり何も言わずにじっと立ち尽くしていた。 悲しげな長い息を一つ、その夜空に浮かべて。 |